どうも、木村(@kimu3_slime)です。
今回は、イプシロンデルタ論法を学ぶ必要性や意義について、理学部数学科で数学を学んだ僕なりの考えを述べていきます。
イプシロンデルタを教養数学(の最初)に入れるの、僕は賛同しない。誰もが数学(理論)を専攻するわけじゃなく、微積分には応用的に重要な話題がもっとたくさんあるので。
やるにしても、論理や証明のトレーニングをしてないと、身の丈に合わず嫌いになる可能性が高い。— 木村すらいむ (@kimu3_slime) April 21, 2022
結論
イプシロンデルタ論法(\(\varepsilon\)-\(\delta\)論法)は、微積分学における用語で、関数の連続性や極限を数量的に定義する方法です。
日本の大学の一部では、教養数学(1年次の数学科目で、数学が専門でない人が多い科目)の微積分の最初に、イプシロンデルタ論法を学ぶことがあるようです。
イプシロンデルタ論法を学ぶ意義がない、とは全く思いません。しかし、教養数学の最初で準備不足のまま扱うほど重要かといえば、そうではないと僕は考えています。
- その先の学習において、イプシロンデルタを使って極限を考える機会は他の教養数学の話題に比べて多くない。ありがたみを感じる人が少ない。
- 微積分の応用において、より利用する機会の多い概念の取得を重視したい(偏微分や重積分、微分方程式)。
- 学生は論理や証明に慣れていないので、身につけられる人が少ない。もしイプシロンデルタを扱うならば、半期をかけて論理や証明の初歩を扱ったほうが良い。
- イプシロンデルタを最初から扱うのは、歴史的な順序を飛ばしすぎているため、学習者にとって意義がわかりにくい。
- 解析学の基礎ならば、数学科向けの講義として2年次にやるのが妥当だろう。このポジションが最も適切だと思う。
イプシロンデルタ、使いましたか?
僕が最も疑問に思うのが、イプシロンデルタを苦戦してまで学ぶ意義です。
数学科でない人と話して、どんな数学を使う機会があるかを聞くことはありますが、イプシロンデルタを応用しているという話は聞いたことがありません(あったら教えて欲しい)。
これは偏微分や重積分、行列や固有値の計算が利用されているのと対照的です。
広く応用される内容の基礎ならば、時間をかけてでも学ぶ意義があるでしょう。それが数学、基礎科目に期待される役割です。
「学んで身につけられた、あまり使ってないけどその考え方は役に立った」それならそれで良いと思います。一方、大学数学の最初でイプシロンデルタに出会って、身につけられなかったし、何の役に立つのかわからなかった。「大学数学は自分には合わないものだとわかった」となってしまう可能性があるわけです(実際そう考えている僕の友人はいます)。メリットとデメリットを比較したとき、現状の教え方では後者のほうが大きいのではないかと僕は思います。
数学科で数学を学んだ僕としては、イプシロンデルタに価値がないと思っているわけではありません。確かに次のような意義があります。
- 一様収束の考え方(イプシロンエヌ論法)に役立つ。
- フーリエ級数や偏微分方程式における、極限(微分や積分)の順序交換の正当化のために重要。
- したがって、微積分の最初でイプシロンデルタによる連続性を題材とするよりも、一様収束の話題でこの論法を身につければ良い。
- 「一般的な」数列や関数の極限を論じることができる。例えば、連続な関数の和・定数倍が連続となること(連続関数のなす線形空間)が示せる。チェザロ平均のように、非自明な形の数列の極限を扱える。
- 連続性にも、各点連続、一様連続、リプシッツ連続などの強さの違いがあることがわかる。
- 一様連続はリーマン可積分性、リプシッツ連続は常微分方程式の解の存在と一意性に応用がある。
- 連続性の定義を位相空間へと一般化するときに、定義をはっきりさせる必要がある。
- イプシロンデルタを通して、全称命題と存在命題が混じった命題の証明に慣れることができる。
- 論理と命題については、教養数学として学ぶ価値がある。
数学専攻、特に解析学を専門とする学生は、学ぶべき話題のひとつでしょう。逆に言えば、数学や理論を専門としない学生にとっての意義が弱すぎると思います。
数学科の人ですら、極限を示すときにいつでもイプシロンデルタ論法に戻るわけではありません。よく知られた形にできれば、はさみうちの原理が使えます。いかに不等式評価をするか、その経験を積むほうが極限を扱う上では重要でしょう。
必要とされる微積分の内容を、早く学びたい
現状の教養科目の数学は、大学での学びにおいて必要となる数学とのズレがあると、僕は大学1年のときに感じました。
2年次以降の数学科向けの科目ではズレを感じなかったので、それは教養科目特有の問題です。
僕の場合は、例えば前期の物理の講義、力学において、仕事の定義に線積分が登場します。一般的なカリキュラムだと、多変数の積分は後期に扱うものです。これはあまりに遅いと感じました。
前期の化学の講義では、シュレーディンガー方程式という偏微分方程式が登場します。これに数学的に詳しく踏み込むのは、たとえそれを優先したとして間に合わないので、定性的な話の題材としてあるのでしょう。
とはいえ、学部1年の間は、数学の講義で常微分方程式の扱いすら学びません。大学2、3年の講義となってしまいます。基礎科目(数学)と応用科目(他の分野の講義)の連携が弱く、アンバランスな状態だと思います。
僕が考える、大学1、2年で優先的に学びたい微積分学のキーワードは、次の通りです。
- 微分、積分、微積分学の基本定理、極限
- テイラー展開、近似、オーダー
- 逆三角関数、双曲線関数
- 広義積分、ガウス積分、ガンマ関数
- 多変数関数、ベクトル値関数、ベクトル場
- 偏微分、勾配、接平面
- ヤコビ行列、ヘッセ行列
- 合成関数の微分(チェインルール)
- 重積分、線積分、面積分
- 回転、発散
- グリーンの定理、ガウスの発散定理、ストークスの定理
- 級数の比較判定法、収束半径、一様収束
詳しくは:大学で学ぶ微積分学:分野ごとの記事まとめ
これらをベースとして、常微分方程式、フーリエ解析・偏微分方程式の初歩だけでも触れると、応用における微積分の話題に困ることは少なくなるでしょう。
参考:応用数学(微分方程式、フーリエ、複素解析、グラフ理論)の記事まとめ
イプシロンデルタ論法は、これらを身に着けて余裕がある人がとりくむ話題のひとつかな、と考えています。もちろん、興味がある人が各自学ぶのは良いことです。
論理と証明の準備が足りていない
イプシロンデルタ論法を教養数学の最初で教えることに賛同できない理由のひとつは、意義を抜きにしても、準備が足りないまま教えられていると思うからです。
イプシロンデルタをたとえ扱わないにしても、大学数学の講義は、高校数学までと比べると、厳密さを重視し、論理的にフォーマルになりがちです。厳密さを重視するのは良いのですが、学生がそれについてくるために必要な知識の供給が足りていないと思います。
これに関して僕が最も良い本だと思ったのが、「数学書の読みかた」です。
森北出版 (2022-03-08T00:00:01Z)
¥1,980
この本では、高校までの教育では足りていないが、大学数学の教科書や講義を読みこなすために必要な論理や証明の知識を、段階を踏んで教えてくれます。
話の流れとしては、4章になってようやくイプシロンエヌ論法が出てきます。
- 第1部 基礎編
- 第1章 数学書はどのようなものか
- 第2章 数学語を身につける
- 第3章 数学書の読みかたの基本
- 第4章 全称と存在の議論を読みこなす
- 第2部 実践編
- 第5章 数学の文章を読みこなす:写像を題材として
- 第6章 さまざまな論法
それ以前は、日常語や高校レベルの整数の話題を題材としています。論理のトレーニングをいきなりイプシロンデルタから始めるのは、講義で適切なサポートがない限り、スパルタすぎると思います。
僕はそのギャップが大きいにも関わらず講義や教材が少ないと感じているので、記事にしてまとめています。
「大学授業の心得」という本では、「数学者と違い、学生は証明や論理になれていない」ことが指摘されています。
確かに数学を専攻すると、証明や論理は当り前のものになり、新入生だろうが誰でも身につけているものと考えがちなようです(僕は全くそう思わないですが)。
イプシロンデルタによる証明を講義するのは、数学者にとってある意味簡単です。数学専攻の人に向けた講義ならば、定義定理証明のスタイルのほうがむしろ聞きやすいかもしれません。
しかし、教養数学の講義は、数学者になりたい人だけが受けているわけではありません。論理や証明、数学に慣れていないかもしれないわけです。実際、僕は慣れていなかったので、苦戦して独学することになりました。
自分でもがくことは貴重な体験ではありますが、できれば先人によるサポートがあったほうがより先の話題で苦戦することができます。そのサポートとして、講義や演習科目があると良いですね。
日本における伝統と歴史的順序
イプシロンデルタが教養数学の最初に教えられがちなのは、日本の一部(東京大学)における伝統が普及した結果なのかな、と推測することがあります。
僕より一回り以上上の世代では、高木「解析概論」が微積分の名著とされていました。
岩波書店 (2010-09-16T00:00:01Z)
¥7,040 (コレクター商品)
この本は、実数の連続性から始めて、イプシロンデルタに続くスタイルです。これは数学科向けの本だと思います。
杉浦「解析入門」は、その現代版とでもいうべき立ち位置で、同じような流れを汲んでいます。
東京大学出版会 (1980-03-31T00:00:01Z)
¥6,160 (コレクター商品)
他にも和書では、これらの流れを汲んだカリキュラム、もしくはそれを噛み砕いた本が多いです。「イプシロンデルタは伝統的に教えられてきたから、今も教えられている」という側面があるのではないでしょうか。
僕が教養数学の微積分の教科書として良いと思っているのは、ラング「解析入門」です。
岩波書店 (1978-03-23T00:00:01Z)
¥7,700 (コレクター商品)
英語圏(アメリカ)では、そもそも学部1年生の前提となる数学の知識が違うようです。日本よりも初等的なところから話を始めています。
数と関数について初歩的(非公理的)に扱い、テイラー展開から級数、多変数の微分まで進みます。イプシロンデルタは付録(appendix)です。
僕も付録程度の位置づけが妥当であり、したがって誰もが講義の最初で学ぶような内容ではないと思っています。
高校数学では、およそニュートン・ライプニッツやオイラーの頃(~17、18世紀)までの解析学を学びます。
イプシロンデルタ論法が発見され整備されたのは、18~19世紀、コーシーやワイエルシュトラスらによるものです。この過程は、解析学の厳密化として知られています。
それ以前の時点で、テイラー展開、フーリエ級数の問題や、偏微分方程式の問題は、現代ほどの厳密さはなくとも、十分に実用されていたわけです。応用されている割に基礎がはっきりとしていなかったから、厳密化が進むわけです。
高校数学では扱わないテイラー展開、フーリエ級数、偏微分方程式といった考え方を抜きにして、いきなり厳密化された解析学を学ぶのは、ステップを飛ばしすぎだと思います。
連続性を含めた解析学の厳密化に数学者はなぜ向かってきたかについて、 「「集合と位相」をなぜ学ぶのか」は数学の全体像を知るのに良い本です。
「集合と位相」をなぜ学ぶのか ―数学の基礎として根づくまでの歴史
技術評論社 (2018-03-06T00:00:00.000Z)
¥2,132
解析学の基礎として
数学科向けの講義で、イプシロンデルタを扱うのは良いと思います。
僕のいた大学では、「解析概論」という2年次の講義で、以下のような内容を扱った気がします。
- 実数の公理
- 上限・下限
- イプシロンデルタ
- 最大値最小値の定理、中間値の定理
- 開集合、閉集合、ユークリッド空間の位相
- 多変数の微分
- 極値問題
このような解析学の基礎を固めましょうという講義ならば、イプシロンデルタを扱うのは自然だと思います。
以上、イプシロンデルタ論法を学ぶ必要性や意義について述べてきました。
カリキュラムは「当り前で学ぶ価値のあるもの」とされがちです。このような再検討が、新しい視点を提供できれば嬉しいです。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。
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