「ゲーデルの不完全性定理」を誤解しないために、数学の歴史的流れを解説

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

現代数学の中でも有名な定理のひとつである、ゲーデルの不完全性定理

数学を飛び出して言及されることが多く、「ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド」という本が書かれるまでに至っています。

数学の理論は積み重ねであり、「ゲーデルの不完全性定理」その定理だけを知ろうとするのは難しいでしょう。

僕が大学で数学を学んでいたとき、数理論理学やゲーデルの不完全性定理には触れていなかったので、この度「今度こそわかるゲーデル不完全性定理」を読みました。

この本もやはり数学的議論の積み重ねを行う本なので、大学数学に親しんでいない人が読むには難しいと感じます。

なので今回は、大学数学の知識は前提とせずに、「ゲーデルの不完全性定理」を学ぶ前に知っておきたい数学の流れをわかりやすく紹介します。

こちらの文章も参考にしています:数学基礎論の歴史 ――その一つの断面―― 村田 全

 



数学の基礎への疑問・公理化の流れ

ゲーデルの不完全性定理が生まれる歴史的背景には、19世紀後半から20世紀前半にかけて、数学の基礎への疑問が生まれてきたことがあります。

 

16世紀にニュートンやライプニッツらによって確立された微積分学は、17世紀から19世紀にかけて厳密化されていきました。微積分の舞台となる数・実数を調べるうちに、やがてカントールによって集合論が生まれます。

集合論は、現在の大学の数学科でも教えられる数学の基礎科目、数学の言語とも言える分野です。集合論が登場して以降、数学のあらゆる分野が集合論の立場によって記述されるようになっていきました。

参考:なぜ教養数学として微積分学と線形代数学を学ぶのか ブルバキが現代数学に与えた影響

さて初期の集合論からは、さまざまなパラドックス・奇妙な事実が見つかってきます。有名なのがラッセルのパラドックスで、「集合とはものの集まりである」という素朴な定義ではなく、より形式的な基礎が求められるようになってきました。

参考:集合の定義、よく使う数の集合、ラッセルのパラドックスとはガリレオのパラドックスとヒルベルトの無限ホテルから感じる、無限集合の性質「集合と位相をなぜ学ぶのか」レビュー

この時期に、公理(議論の出発点となる条件)を定めた公理的集合論、ZFC公理系が提唱されました。

参考:公理的集合論 – Wikipedia

 

ヒルベルト・プログラムとは

20世紀を代表する数学者のひとりであるヒルベルトは、集合論を含め数学すべてを基礎づけようとし、ヒルベルト・プログラムと呼ばれる計画を提唱しました。

ヒルベルトは、その証明を形式化することで、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうと考えた。具体的には、

数学において真である命題は必ず証明できること

公理から形式化された推論をどれだけ行っても、矛盾が示されることは絶対にないということ

という事実を、有限の立場と呼ばれる確かな方法を用いて証明しようとする計画である。

引用:ヒルベルト・プログラム – Wikipedia

完全性と無矛盾性、どちらも数学に求めたいものではあります。

正しい命題はすべて証明できてほしい。かつ、正しい手順を踏んで推論すれば、そこから矛盾が示されないようにしてほしい。

これが両方保証されていることを、数学によって証明しようとしたわけです。

つまり、「数学の理論とは何か」「推論とは何か」「命題とは何か」「証明とは何か」といったことを数学的に定義する分野が必要です。それは数学基礎論・数理論理学と呼ばれます。

代数学なら文字によって表される数、幾何学なら図形、解析学なら関数などを対象としますが、数学基礎論は数学(の議論)を対象としています。そのため、メタ数学・超数学とも呼ばれていますね。数学を数学するわけです。

 

ゲーデルの不完全性定理を読み解く

さきほどのヒルベルト・プログラムに大きな影響を与えたのが、ゲーデルの不完全性定理です。

それは「Über formal unentscheidbare Sätze der Principia Mathematica und verwandter Systeme I(プリンキピア・マテマティカおよび同種の諸体系における形式的に決定不能な命題について)」という1931年の論文で示されました。

 

ゲーデルの不完全性定理1

自然数論のある一部を含むいかなる形式理論も、わかりやすくて無矛盾である限り、不完全である。

引用:今度こそわかるゲーデル不完全性定理 p.90

自然数論は、\(1,2,3\dots\)といった数や、そこにおける足し算\(+\)、掛け算\(\cdot\)、大小関係の比較\(<\)ができる基本的な理論です。

そのような基礎的な理論を含むあらゆる理論が、(わかりやすく)無矛盾である限りは、不完全になってしまいます

つまり、その理論からはそれ自身もその否定も証明できないような命題(閉論理式)が存在する、という主張です。ヒルベルト・プログラムが目指した無矛盾性と完全性の両立、それはごく簡単な理論であっても不可能、というわけです。

 

上で述べたのは第1不完全性定理と呼ばれるもので、もうひとつ第2不完全性定理もあります。

ゲーデルの第2不完全性定理

\(T\)証明論理式\(P\)が要請4と要請5を満たすとき、閉論理式\(\lnot \exists P (\mathrm{Scd}(\perp))\)は\(T\)からは証明できない。

引用:今度こそわかるゲーデル不完全性定理 p.130

ここで\(T\)はある条件を満たす無矛盾な形式理論、\(\mathrm{Scd()}\)は文などをコード化した自然数、\(\perp\)は矛盾論理式です。

つまり、自然数論を含む多くの理論において「矛盾が起こるような命題が存在しない」とはその理論によっては証明できない、と言っているわけです。

「矛盾が起こる」とは言っていないことに注意してください。「矛盾が起こらないとは言えない」です。

 

ゲーデルの不完全性定理のいう「証明できない」とは、定義された言葉です。\(F\)が\(T\)から証明可能であるとは、形式言語の閉論理式の集まり\(T\)から閉論理式\(F\)を導く法則型推論が成り立つこと。こうした言葉は、モデル理論・証明論と呼ばれる分野の言葉です。

……といったように、言葉の意味は約束されたものであり、正確に知るためには「今度こそわかるゲーデル不完全性定理」を読む必要があります。

 

不完全性定理は数学の終わりではなく、出発点

ゲーデルの不完全性定理をなんとなく知りたい方に覚えていただきたいことは、「数学理論は不完全だ」「人間の知性の限界だ」という風にとらえるのは間違いだ、ということです。

「不完全」という言葉に惑わされないようにしましょう。第1不完全性定理では、真偽が証明できない命題が存在するという限られた意味で、不完全であると言っています

実数がcompleteであることは日本語で完備であると表現されるので、ゲーデルの不完全性定理も、不完備性定理、「~は完備でない」という言い方をした方が誤解しにくいかもしれません。

そもそも、不完全性定理は数学によって示されたものです。それは数学にとって悲観的な結論ではなく、むしろ議論の出発点と言えるでしょう。

 

ゲーデル以降では、コーエン(cohen)の仕事が大きな注目を集めました。

集合の要素の多さには、自然数の可算濃度と実数の連続濃度がありますが、「その中間となる濃度は存在しないのではないか」……という主張は、連続体仮説として知られています。

参考:無限集合の多さ(濃度)はどのくらい? 可算無限、カントールの対角線論法とは

コーエンは、連続体仮説が成立するような集合論の標準的な立場ZFCのモデルを作りました。

ゲーデルの第2不完全性定理は、ZFCの無矛盾性は自身では証明できないことを示しましたが、コーエンは連続体仮説もまた証明できないことを示したのです。その体系から証明できない命題は、独立な命題と呼ばれています。

参考:ZFCから独立な命題の一覧 – Wikipedia

コーエンはその証明のために強制法(forcing)という手法を生み出し、集合論・数学基礎論の研究に大きく貢献しています。つまり、ゲーデル以降の積み重ねと発展が続いているのです。

 

というわけで、ゲーデの不完全性定理について知りたいなら、「今度こそわかるゲーデル不完全性定理」を読むと良いでしょう。

その前には、不完全性定理の先駆けとなる大学数学・集合論を学んでおきたいです。松坂「集合・位相入門」で数学の読解力を養えば、「今度こそわかるゲーデル不完全性定理」も読めるようになるはずです。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

追記:

読んでいた社会学の本(稲葉「社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか」)の学問のモダニズムに関する章で、数学の厳密化、ゲーデルの不完全性定理について触れられていました。

ゲーデルの不完全性定理について、「現代思想」風の大げさな物言いは疑うようにということで、全体を通してこの本は知的に誠実であろうとしている印象がありました。著者は(数学について)「門外漢」でありながらゲーデルの不完全性定理について学ぼうと努力したことが、参考文献からも感じ取れます。

改めて、ゲーデルの不完全性定理は、人文系の学問でもキーワードとして上がってくるけれど、(人文系の)研究者であっても数学的にキャッチアップするのはしんどいのだな、と素直に思いました。

道のりが遠いのはもちろんですが、どんな道のりがあるか専門外の人にわかりやすく示した文章が少ないと思います。

ゲーデルはわからなくとも、その周辺分野として、ヒルベルトの問題や公理主義の話をしていたのは、この記事と同様ですし、適切なものだと思います。

人文系専門(非数学専門)の人がゲーデルの不完全性定理について知りたいならば、集合論に関する本を読むことです。それは現代数学の基礎ですから、学んでおいて損はないです。

集合論や数理論理学の話をざっくりとおさえて、数学的な用語をきちんと専門用語として捉え、わかることはわかる範囲で、わからないことはわからないと言えば、間違えずに理解を深められると思います。

 

 

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