数学を学ぶコツ:疑問を育て、意見できる人になろう

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

大学の数学、研究では、自分の意見を作り、人に納得させられるように主張する力が求められます。

しかし自分の経験を思い出してみると、小学校や中学校で、自分の問いや意見を述べることは、良しとされなかった記憶があります。

そこで今回は、自分の意見を述べられるようになることの大事さ、その前段階として疑問の育て方について書いていきます。

 



疑問の育て方

多くの小さな子どもは、歩けるようになったり、話せるようになると、興味を持って色々なものを知ろうとします。例えば僕は、「なぜ信号は守らないといけないのだろうか?」と思ったような気がします。

なんでも「なぜ?どうして?」と聞いても、場合によっては大人は満足した回答を返してくれないこともあるでしょう。「そういうものだと決まっているんだよ」と。そのとき納得はできなくても、子どもはだんだんとその疑問のことを忘れていくかもしれません。

この、わからないな、どうしてなんだろう?という気持ちは、数学、に限らず学問を深めていくときに、一番大事なことだと思います。

 

小学校や中学校に入れば、先生や教科書から、多くのことを教わるでしょう。

中には、わからないこと、納得できないことも生まれてきます。正しいと思った回答でバツをつけられたら、悲しい気持ちになるでしょう。

そこで疑問があったときに、先生に質問できれば、それが一番良いです。疑問をもとに対話し合うと、とても理解が深まります。しかし僕の場合は、質問をするという発想がありませんでした。自分で考えればわかるか、わからないけど質問するほどの意欲がある問いではないな、と思っていたからです。

もう少し言えば、大人に質問する、意見を述べるということが怖かったのではないかと思います。親や先生というのは、年齢も離れていて、物を申したらいけないのではないか、という気持ちがありました。従順な「良い子」はそういう発想をしてもおかしくないでしょう。(そもそも、自分がおとなしく人付き合いに臆病な性格だった、という部分はありますが。)

 

なので、子どもがいきなり人に質問したり疑問を呈したりするのは、難しいと思っています。しかし、いつか大人になるにつれ、そういった意思表示をする力を持つ必要があるでしょう。自分の面倒を見れるのは、最終的には周囲の大人ではなく、自分自身です。

そこで意見を述べる前段階としてトレーニングできることは、疑問を作り続けることだと思います。人の話を聞いているときに、「どうしてそうなのだろう?」と考えるわけです。

慣れてくれば際限なく疑問が湧きますし、その中ではどうでもいいものと、どうしても気になるものが出てくるでしょう。学校の枠組みを外れて、どんどん調べたり考えたりすると楽しいと思います。

おすすめなのが、疑問をノートに書いて言語化することです。ネタ帳のように保管しておいて、いつかしかるべき人に質問すれば解決できるかもしれません。僕が大学生のときは、パソコン(ツイッターやメモ帳)を使って、疑問のストックを作っていました。

その習慣は、大学で研究をするとき、ゲームや仕事を上達させたいときに役立っています。

 

科学のもととなる考え方を生み出した哲学者デカルトは、「方法序説」において方法的懐疑という考えを提唱しました。つまり、人が言っているもっともらしいこと、大人の言う通説を、すべて一度は疑ってみることです。

もちろんある程度の道徳・ルールには、疑問があっても従う必要はあるでしょう。社会で生きていくためには、最低限の秩序に従うことが求められます。

とはいえそれとは別に、内面的に疑問を持ち続けることは大事です。その疑問を粘り強く考え続けた結果が、社会を支える技術や学問を生み出したわけです。周囲の意見を恐れずに、自分の疑問は自分の疑問として尊重していきましょう。

 

意見の作り方

自分の意見を述べることは、慣れないうちは怖いものです。

少なくとも僕は怖かったです。先生に間違いの指摘をしたけど、もしかしたら自分が間違えているんじゃないか。すごく基本的なことがわかっていなくて、全く見当外れの質問をしているんじゃないか。

自分の考えと人の考えのズレを問うことは、批判的、挑戦的な部分があります。だからといって、人に尋ねたり、意見をぶつけ合うことは、必ずしも悪いことではない、むしろ良いことだ、と今になっては思います。

 

日本には、「和をもって貴しとなす」のように、調和を重んじて、(特に上下関係の)ぶつかり合いを避ける習慣があるのではないか、と思っています。ここ最近のニュースでも、「忖度する」「わきまえる」といった言葉を目にします。

僕はかつて、人が口喧嘩をして、争い合うのは嫌いでした。見ていてストレスを感じますし、悲しい気持ちになります。いつまで経っても平行線の議論は、時間の無駄だと思っていました。だから、異なる意見や立場の人がいたら、新たな妥協案を出せないか、いつもよく考えています。

では、言い合いが不毛になるからといって、議論を避けたらどうなるのでしょうか。お互いに意見を伏せたまま、小さな不満が溜まっていきます。我慢が耐え難い段階になれば、結局は大爆発で喧嘩分かれとなってしまいます。

当たり前のことかもしれませんが、人と人は、言葉を交わさなければ相手のことはわからないのです。意見を述べることによって、その言葉不足、説明不足ですれ違うこともあるでしょうが、言わなければもっとわかりません。

勇気を出して、自分の立場や考え方を述べることで、ようやく相互の妥協点を探ることができます。頭の中で思っているだけでなく、口にする、言葉にしなければ、自分の考えをわかってもらうことはできないのです。空気を読んで、勝手に考え方を推し量ってくれる人もいますが、噛み合わなければ余計なお世話になったりします。

 

僕が子どもの頃に、KY(空気が読めない)という言葉が流行ったりしました。「空気を読む」ことで自分が利益を得られるなら良いにしても、不利になったり、いじめられたりするときに、それに従うべきなのでしょうか。僕はそうは思いません。

人(他人)は必ずしも自分のことを守ってくれません。それは親や先生、同級生であってもです。そんなときに、自分を守ってくれるのが、意見を述べる力です。何も言わずに黙っていたら、いじめっ子なり年長者なり権力者なりの言いなりで生きていくことになってしまいます。

意見を述べる力は、数学でも役立つものです。そもそも、数学の回答を書くということは、「これが正しい」と主張することです。数学ではそれを命題や主張と呼びます。「私が言うことは正しい、なぜなら……」と説明をするのが、試験の回答や数学的な文章です。「これで答えは合っているのでしょうか?」という受け身な段階から、やがては「これが正しい」と主張できるようになることが必要です。この能力は、特に大学での数学の演習授業、ゼミで培われます。

参考:数学の学びを深めるために必要なのは、「わからない」と言える力

 

以上、数学を学ぶコツとして、疑問を持つこと、意見をすることのすすめを紹介してきました。

なんだか数学が関係ない話が多かった気がしますが、学問内に限らず、自分の意見を持ち、人に説明する能力は、人生を通じて本当に大事な力だと思っています。それは自分の身を守り、さらには人と学びを深めるために必要な能力だからです。

とはいえいきなり「自分の意見を持て!」と言われても怖くて難しいと思うので、まずは小さな疑問を大事にするといいよ、というお話なのでした。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

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