数学の証明とは何か、なぜ必要なのか?

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

現代の数学において、証明は重要なツールです。特に大学で数学を専攻している人は、日々証明に向かい合っているでしょう。大学数学の本は基本的に、定義・定理・証明の連続です。

しかし、専門外の人にとっては、証明は馴染みがないものではないでしょうか。僕自身、証明そのものの考え方を大学の授業や本で直接的に習った記憶がありませんが、いつの間にかある程度の証明はできるようになっていました。

今回は、大学数学を学ぶための日常所作である証明とは何か、それがなぜ必要か、僕の考えを紹介します。

 

証明とは?

証明とは、何でしょうか。

多くの人にとって、証明という言葉に最初に出会うのは、中学の数学、図形(幾何)の問題ではないでしょうか。三角形の合同条件や相似条件ですね。高校数学では、背理法を使った証明を習うでしょう。

図に示された2つの三角形がある。その2辺とその間の角がそれぞれ等しいから、この2つの三角形は合同である。

\(\sqrt{2}\)が無理数であることを示したい。\(\sqrt{2}\)が無理数でないと仮定すると、(中略)これは矛盾を導く。よって、\(\sqrt{2}\)は無理数である。

証明とは、数学的事実(定理や命題)が正しい理由を論理的に主張し、説明する文章のことです。上の例で言えば、「2つの三角形が合同である」ことの証明、「\(\sqrt{2}\)が無理数である」ことの証明です。

小中高の算数・数学、また数学専攻以外の数学では、証明よりも計算ができることの方が優先されているでしょう。

証明に苦手意識のある方は、学校で習う証明へのイメージを一旦忘れてください。僕は中学での穴埋め証明問題が嫌いでしたが、それでも今は問題なく証明に向かい合えるようになっています。

 

証明の読み書きができると、どんなメリットがあるのでしょうか

確かに、既に正しいと知られた数学的事実(命題や定理)を使う分には、証明について知る必要はありません。三平方の定理(ピタゴラスの定理)は、数千年前に知られてからずっと正しいものです。ただし、数学的事実の作りを確認したり、自ら作る立場になるなら話が変わってきます。

家具や家で例えてみましょう。家具を使ったり、家に住む分には、それらがどうやってできているかなんて知る必要はありません。ただし、建築家になったり、あるいはちょっとした家具を自作(DIY)するには、作り方の知識が必要となるでしょう。

スマホのアプリやソフトウェアで例えてみましょう。そのユーザーである限りは、これといって求められる能力はありません。ただし、自分で作ってみたい、プログラマやエンジニアになりたいなら、プログラミング言語、ソースコードを読み書きできる力が欲しくなるでしょう。

数学もこれと同じです。数学的事実の使い手にとって、証明は必要ありません。ただし、証明の読み書きができるようになれば、数学的事実(命題や定理)の仕組みを知ったり、新たな数学的事実を生み出しその正しさを確かめることができるようになるでしょう。

数学を深く知り、あるいは自作できるようになることは、数学を楽しむことにつながると思います。精巧なプラモデルを鑑賞して好きになった後は、実際に作るとより楽しいものです。

実際的には、「正しい」とされている定理の正しさを自分でチェックしたり、大学の専門的な数学の教科書をきちんと読めるようになるでしょう。また、普段の生活においても、何かの事実が正しい理由は何か、証明や理由はどんなものか、論理的に突き詰めて考えられるようになります。

 

証明はなぜ必要か、その仕組み

大学数学の学習において、証明のやり方は学ぶ「べき」と言われる印象がありますが、そもそもなぜ証明は必要なのでしょうか?

証明という風習は、歴史的には、ギリシャの数学に始まったとされています。ユークリッドの『原論(プリンキピア)』は、公理・公準を明らかな事実の出発点とし、さまざまな数学的事実を証明しました。これは中学や数学の図形(幾何)で習うものとして伝わってきています。

かといって、証明は数学にとって必ずしも必要なものではありませんでした。実用的な・趣味的な算術としては、いくつかの例を示せばそれで足りるわけです。

日本の江戸時代の算術・和算では、証明と呼ばれる考え方がなかったから、高度に発展していたにもかかわらず、近代的な数学(ヨーロッパ数学)に引き継がれた部分が少なかったと言われています。

参考:厳密さ・証明が現代数学で要求されるのはなぜ? 近代数学の歴史をたどる

証明の(不)必要性を教えてくれるのは、インドの魔術師と呼ばれる数学者、ラマヌジャンです。

彼は高度な教育を受けていませんが、独学にも関わらず、多くの驚くべき数学的結果を発見しました。その結果はやがてヨーロッパの数学者の目に止まりますが、認められるには時間がかかりました。

ラマヌジャンは『ナマギーリ女神が舌に数式を書いてくれる』と言いうのですが、証明がないから、他の人は彼の発見が正しいかどうか、確信が持てないからです。実際にはかなり多くのケースでラマヌジャンの得た結果が正しいことが後に証明されますが、間違っていることもありました。これは映画『奇蹟がくれた数式』で良く描かれていますので、ぜひ見てください。

ここから証明の必要性が逆説的にわかります。どんなに正しいと思えることでも、証明がなければ実は間違っている可能性がある。証明があると、数学的事実の正しさを多くの人に納得してもらうことができる

つまり、証明は自らの数学的主張の正しさを保証し、それによって人に説明と説得をする手段と言えます。

現在中学校で習う幾何学は、ユークリッド幾何学、すなわち2000年以上前に発見されたものです。それが今に引き継がれている理由のひとつは、正しいことを主張しただけでなく、それに証明があったからに他なりません。数学が時代や言語(国)を超えて正しいとされやすいのは、証明がきちんとしているおかげです。

 

述べられた事実の正しさの保証は、単にその主張を人に納得してもらうためだけでなく、数学の体系全体のためにも必要です。

数学では、正しいと証明された事柄のみを用いて事実の体系が構成されています。誤った事実を用いれば、正しくないことでも「証明」できてしまいます。

数学の議論では、既に正しいとされていることを「仮定」と呼び、それを真実として出発します。もし証明されていない事実を仮定にしてしまったら、その議論そのものが危ういです。数学的事実は、(有効な)証明込みで数学者たちに認められる文化があってこそ、築かれた議論をもとに先へ進むことができるのです。

証明は、数学をすること自体に必須ではありません。ですが、数学の知見を人と共有するには、証明は必須だと思います。

 

さて、そんな証明の読み方や書き方の話もしたいのですが、長くなるので別の記事にする予定です。

大学数学に馴染みのない方に、証明の意義を感じてもらえたら嬉しいです。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

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