「数学は何の役に立つのか」「じゃあ学問は役に立つためにあるのか?」

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

数学、基礎学問は何の役に立つのか」という問いに答えます。(暫定版)

 

答えると言いつつ、僕は問い返します。

「数学は役に立たなければならないのか?」「学問は役に立つことのためにあるのか?

あなたの言う「役に立つ」とは、どういうことなのか?

これにどう答えるかで、質問者の意図と資質がわかるでしょう。

 

例えば、次のような「役に立つのか」議論があります。

知事は、全国学力テストの結果を受け、「サイン、コサイン、タンジェントを社会で使ったことがあるか女性に問うと、10分の9は使ったことがないと答える」と述べ、「社会の事象とか、植物の花とか草の名前を教えたほうが良い」と主張した。

引用:「サイン、コサインを女の子に教えて何になる?」鹿児島県知事の発言を乙武洋匡氏が批判「時代錯誤」【UPDATE】 – HUFFPOST

これには2つの論点があります。「女性に学問は役に立つのか」「三角関数は社会の役に立つのか」

前者は乙武さんによって指摘されるように、「女性(として)役に立つこと」が求められたもので、ジェンダー的な問題であります。この例からは、「役に立つのか」と問うことには、「役に立たないのではないか」意図があることがわかります。つまり、話者の基準において「役に立たない」と判断しているわけです。

後者の問い、確かに、仕事において三角関数を直接使う仕事は少ないでしょう(それでも測量やプログラマなどいくらでも使う仕事はあると思いますが)。とはいえ、「仕事で使わない」=「役に立たない」はあまりに短絡的です。

高校からは義務教育ではなく、「仕事で役に立つこと」を学ぶわけでは必ずしもありません。学問は、例えば、社会で役に立つものを生み出しています

車や工場は社会に役に立っていますが、これはニュートンの物理学・微積分学がバックにあります。スマホやインターネットが役に立っているのはもはや当たり前ですが、電気や電波を使っていて、電磁気学、三角関数を使っています。自分が日常で使わなくても、「社会でどう使われているか」はイメージできますし、できたほうが良いですよね。というかそれが高等教育の目指すところのひとつですよね。

 

「社会において役に立つか」という問いかけにおいて、「役に立つ」はどういう意味を持っていることが多いのでしょうか。

企業から見たときの「仕事(生産)のために役に立つかどうか」、行政から見たときの「生活と納税のために役に立つかどうか」として発せられやすいのではないでしょうか。

確かに、企業や行政から見れば、人びとは「社会の役に立ってほしい」

しかし、私たちの人生は、人の役に立つためだけにあるわけではありません

日本国憲法の第27条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」と言いますが、「義務」とまで言うのは人民を守るためではなく、国側の都合でしょう。(労働の権利については、労働法につながり、人びとの「役に立つ」ものだと思います。)

問うこと、学ぶことは、ギリシャの頃から、人が人らしく生きるための技術として、受け継がれてきました

またその活動が学問としてまとまったがゆえに、数学をベースとした物理、化学、生物学、経済学などの近代科学が起こり、それが産業革命や情報革命という形で社会に大きく役に立ってきました

そんな歴史的観点を思えば、「(現代において)(社会の)数学は役に立つのか?」という問いは、短期的な見方であることがわかるのではないでしょうか。

(素朴に「何の役に立つ?」と聞きたくなる気持ちは大事です。しかし、探求・好奇心のためでなく「役に立て」というメッセージを入れ込んでいたとしたら悲しいですね。)

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 



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